1992年
旧 野榛 (現・天象)
5月号 デビュー作
梅一輪重ねて久し母の忌に誘われるごと深く呼吸す
やわらかな光の帯に照らされて職退きし日のさびしさは無し
三十路すぎ初めて抱きし吾子なればたちがたき職退くも潔し
うすれゆく母の面影追いながらゆく寺道に彼岸花咲く
小さき手に点滴の針痛々し子の病棟に朝明けを待つ
次つぎに波打ち寄する久慈川の堤に立ちて海を見ており
6月号
胎教とひとり味わうモーツァルトこの日溜りにもどろみにつつ
「ママ」と呼び躍るごとくに歩み寄るおさなごのいて春の夕焼け ☆編集委員会・選抄
贈られし桃くれないにひなの夜健やかなれと花の咲きおり
穏やかに燦くごとく歩み来る春の予感にシャボン玉吹く
ふらここのゆらりゆらゆら揺れている立ちつかがみつ踊るよ吾子は
7月号
何処へと旅立ちたるか花筏やさしきを詠むうたびと連れて
切なさを溜息の中に閉じこめてパンジー植えおり嫁がせし父
カタコトと枕木の音数えつつ訪ぬる故郷節句近き日
友見舞う「あたたかくなれば快くなる」と涙かくしてあたたかな嘘
花の間を「二つに折りし恋文」と呼ばるる蝶とたわむれにつつ
いよいよと筍(こ)ら寄り添いて竹の秋金と銀とのデュエット四月
8月号
我もまた守られたいと言いたげに眉掃草の濡れそぼちおり
鼓草光りながらう春の野に遊びし子らの髪飾りなる
若葉雨生あるものの哀しみをぽつりぽつりと物語るごと
超音波画像に指吸う姿浮く産まれ来る日の待ち遠し吾子
木洩れ日の作りし蝶のあまたいて小首かしげて駆けまわる吾子
「かわいいね」覚えたばかりの片言でミモザサラダを喜ぶ吾子は
9月号
枝蛙何処の色に染まろうか紫陽花見上げ思案のまなこ
鼻歌に健康食と梅洗う父の背中や梅雨入り楽し
雨降り花「悲しいときの君が好き」思い出すなぜ雨宿りして
雨やどりの軒下にゆれるかすみ草たたずみて今私だけの時間(とき)
10月号
戦いのその激しさは知らずとも肉親別つ傷と向き合う
かねてよりあこがれし職甦り通信教育自宅校正
梅雨空をつき上げるごと右あがりためらいもなき青蔦なりき
「坊ちゃん」と胎児の性別告げられてよろこび帰る娘とわたし
自然なるときの流れに身をまかせ日ごとふくらむ鼓動たしかに
11月号
寂しさは盆の仕度の父の背妣迎えんと門の火を焚く
天上の母へと花を捧ぐごと送り火の日の遠花火咲く
安らかに役目を終えしランナーに平和の調べビバ・バルセロナ
恋いこがれ九日九夜立ち続け神話となりしひまわり見つむ
月満ちて生まれくる子を待つ夫命名の書物誇らしく見つ
12月号
彼方より湧く雲もあり巻雲も空にこもごも晩夏と初秋
秋連れてすじ雲高く広がれり空のキャンパス秋桜そえて
つきくさや星散りばめし頂に止まるヤンマも風に揺れいる
秋桜にいらだつ心鎮められまだあどけなき吾子を抱きしむ
時かけて歌詠めぬ日と我言うを「急くな」と父は詩集よこしぬ