興味をひかれたものや学びの機会を頂いた現代短歌について、気ままに書いています。
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| 2021年2月1日 門脇篤史さん |
いくたびも取りあげさせていただく とにかく大ファンの歌人さんです 最近眼に留めたのですが さて どこで拝見したのかが・・・ でも間違いなく門脇さんの作です 退職のひとを見送るゆふぐれの拍手のやうな雨音を聞く 一読、ああこういう景色あるなぁ、と共有し 共感が生まれた とにかく心根のよい方なのだろうと いつも思う もちろん お会いしたこともなく お顔も知らぬ 憧れのみでここまできているが・・・・ 退職される方への気持ちは 「ゆふぐれの拍手のやうな」という 雨音の修辞で理解できる 夕暮症候群ではないけれど 老人ならずとも 心が落ち着かなくなったり 感傷的になったり もちろん季節にもよるけれど 日本人の叙情性と夕暮は古来から深くつながっている気がする 寂しいとは言わず この修辞に 送る人に対するの気持ち いろいろな感情が込められている 拍手のような雨音だから 規則的に降る雨 風もなく垂直に落ちていく雨 そんな景色も浮かんでくる 余計な風音も 余計な音もない夕暮の雨だからこそ きっと拍手のような雨音を聞きながら その方との思い出を静かに振り返れたのかもしれない ひとこまひとこまを送り その方をおくる 丁寧な思いも見えた さらに 助詞の「の」を重ねて雨音に向けていく工夫も感じられる 響きも流れもよい歌にもなっていると思った 勉強になります |
| 2020年1月21日 加藤治郎さん 「短歌研究1月号 作品20首 五七番街」より |
有名な歌人の先生のお歌を取りあげるなど、いったいなんだと思われそうだけれど よい学びの機会となった話です 頭の上に飛行機雲がふくらんでへんてこと言うりんと続けて 言葉は面白い 変梃だけで、奇妙な様子は表現できるのだが、 同様な意味でへんてこりんという言い方がある 日本語特有な感じだ へんてこと言い放たれるより りんが言葉や意味を柔らかくしたり 少し滑稽にあるいは可愛く落とし込んだりする 調子を整えるための言葉で そこに意味があるわけではない ところが 加藤さんのように りんと続けて という結句のおかげで いろいろな意味が添えられてくる気がする もちろん他意はないまま 鈴のような軽やかさを空に響かせている様子でもよいし
りんと続けて でもいいとも あるいは 変化を楽しみなさいと教えられているとも 飛行機雲のへんてこりんを 雲自身に向けたと取る場合と 見上げた作者に向けたと取る場合とでも 違ってくる 他人に読みを預けるからには そのくらいいかなくちゃね と言われているようで ああ楽しい一首に出会った また 進めるかなぁ めげつづけている場合ではないな つづきはまた |
| 2019年11月14日〜 門脇篤史さん 「微風域」(現代短歌社2019.8.11発行)より |
2016年所属結社の「未来」賞、2018年第六回現代短歌社賞を受賞されている。 縁あって(とは言え直接的ではない遠い縁だが・・・・)門脇さんの歌集「微風域」を手にした。 もともとが好きなタイプの歌ということもあり、自分でも驚くくらいに読み進めた。 やっぱり魅力的だった。 日常の自身の大きくはない半径の中で、取りあげた題材に作者の想いを表現したり、 置き換えの手法で、言葉を変えて生活を映し出したり、「ほおっ」と感心される世界が 広がる。 楽しい。 <11月14日 記> 感情はしづかに積もる錆の浮く穴開けパンチの残土を捨てる 実にすごい。感情がしずかに積もるは、大きな変化のない時には使う。 つまり、平凡な日常の中で、劇的な動きや変化があるわけではないけれど、 そんな日々にも積もっていく主観的な価値づけや主体自身に生まれる一時的な心の動き や細々と持続する感情はある。 ふとした瞬間にそれが意識される。 作者の場合は、錆の浮いている穴開けパンチだ。 ちりのような感情は、穴開けパンチに残されているまーるい紙の切りカスと同様 使うこともない残土と呼ぶに等しいのだろうか? 簡単に捨て去ることができる。 とはいえ、意識した時点で、積もっている感情はただの残土とは言い難いけれど、 感情すべてを受けとめていては前に進めなくなる。 時には、さらりと捨てなければ・・・・・みたいな読みをした。 門脇さんのうたなら、こうして向かい合いながら、 自在に読解して楽しめそうだ。 <11月28日 記> 少しづつ空にひかりを返す海凪ぐことこそがおまへの価値だ この歌の一連には「須磨」という小題が付けられている 古来からの景勝地だ。大阪湾に面する白砂青松の海岸として有名で 須磨の浦は歌枕だ。 でも、私はなんとなく自分に近づけてしまう。 2011年3月11日を思ってしまう。 大好きだった海が、まもなく九年になろうとする今でも怖い。 風のない穏やかな海のきらっきらっとした様子を見ていると、 門脇さんが詠んている通り、まさに「少しづつ空にひかりを返す」がぴったりはまる。 でも、この上の句までなら、過去にも誰かが言っていた感だけでなく、そうだ私も 似たような表現をしたことがあると思ってしまう所だ。 ところが、他の歌もそうだが、ここからが門脇さんの独自性というか、感覚がよいなぁ と思える部分だ。 「凪ぐことこそがおまへの価値だ」の言い切り。 しかも、「こそ」は,「凪ぐこと、それこそが」くらいに副詞的に用いているのだろう。 攻撃的ではない静かな中にすごい力が宿る。 哲学的であり、命令的であり、何ともすごい言いきりだ。 大きな海、自然に向かって、小さな人間でさえもこんな言い切り方をしてしまうと 大きな対象に、理想的価値を求めたというより、絶対的価値を教えたとまで思えて しまう。 こりゃ、『微風域』どころではなくて、神の域だ!! <12月5日記> tempo rubato.崩ゆる世界の表面を自由自在に雨は鳴らせり 一読して、きゃっすご!となった歌の一つ。 テンポルパートと来たか、やはりこの歌人の魅力は留まるところが無い。 音楽の速度用語なのだが、 感情の起伏に応じて自由な速度にしてよいという何とも都合のよい記号だ! 直訳では「盗まれた速度」となる。 しかも、崩れるではなく、崩ゆると・・・・上代から使われている「ゆ」という 自発の助動詞をさり気なくつけてきている。 たぶん、放っておいても、やがては崩れてしまう世界 形あるものみな失われてゆくという言葉の通り 永遠に存在するものなどは無いのだ。 それなのに、あえて、雨というものは気ままに降り、自在な降り方で その世界の崩壊を助長しているようにも思えるくらいの思いだろうか? 実に、重い。でも、さらりと表現してしまう。 ただ、 表面が崩れても、根本的な何かは残っているということも同時に言えている。 芯が揺らがなければ、形は変わっても残り続けるものは必ずあるのだろう。 さて、つづきはまた |
| 2018年9月1日 川谷ふじのさん 「自習室出てゆけば夜」より |
ご本人が受賞の言葉で 「青春詠」と言われる悔しさのようなものを語っておられたが、 まぎれもなく、その時代にしか詠めない等身大の歌たちと感じながら読んだ。 大人たちは、私も含めて、絶賛の誉め言葉として使っているのだけれど、 自分の高校時代を考えても、そのさなかに在っては、アンチ青春を描きたい と思ったであろう作者の気持ちもわかってしまう。 と前置きはさておき、 いい意味で比較的狭い世界と時間を目と耳と心で細かく観察されている そして魅力的に表現されている 体育館をふきぬける風写真には残らぬものが光らせる夏 受験を控えた高校生の夏だって、光らせてくれるものはたくさんある。 形ではない、目には見えない一瞬に感じる「おっ、気持ちよい風」 生きている幸せだ そして 「そのうちに太陽見なくなりそう」と東大クラスの友だち笑う は、その言葉を聞いた時の作者の口に出さなかった気持ちが伝わってきた。 友だちは東大クラスだ つまりトップ集団 トップ集団にはトップ集団の苦労がある けれど、それは望んで飛び込んでいる世界 トップ集団に入れない人のもがきとは種類が違うんだよという声が聞こえてくる 太陽が見たいなら、一段落として余裕を持てばいいわけで そうしない自分が居て、しかもまだ笑えるのだろうと作者の心の声が聞こえてくる まだまだたくさん魅力的な歌があるが、それは選をされた先生方が誌面で紹介 してくださっている |
| 2016年4月16日 鈴木加成太氏 「革靴とスニーカー」より |
アパートの脇に螺旋を描きつつ花冷えてゆく風の骨格 「花冷え」と言ってしまうと、花の季節の不安定な天候のなかの一時的な寒さのことだが、 ここでは、散る花=命の終わる花びら一枚一枚を表現している。 花びらの散る様子は、くるくるとかふわふわとか擬声語で詠まれつくしているけれど、 まさに形容すれば螺旋を描きつつで景が共有できる。 散る花はただ散ってゆくのではなく、風の骨格を見せているというから納得。 目に見えない風の骨格は、この時期には散る花びらを通して、秋には落ち葉とともに、 四季折々の骨格を見せてくれると知らされる。短い中で表現するとき言葉の選択の大切さを 再認識し、大切に想えた。 つづきはまた |
2013年5月14日 薮内亮輔氏 「花と雨」より |
炎であればもつとさびしい桜から鳥がとびたつ花穂をゆらして 作者は、桜の大樹から鳥が花穂を揺らして飛び立つ様子を見たのでしょう。 花穂を揺らしますから、当然、花びらも舞う。 短い命の桜の花びらを散らす鳥の様子を見ていて、さびしいと思った そう読む人は、今までもたくさんいましたよね。 それが、鳥であったり、風であったり、雨であったり・・・・・。
鳥でも、風でも、雨でも、桜の樹自体の命を奪うものではない。 つまり、花穂を揺らされても、花びらがすべて散っても、桜の命は守られていく。 これが、炎だとしたら、命までも奪われてしまう。 |